電子化普及の弊害と見える化

最近、「見える化」という言葉をよく耳にする。

批判したいわけではない。
個人的には大賛成で、うちのチームのメンバーにも耳にタコが出来るくらい(私は耳にタコが出来ている人を実際には見たことが無いが)言っている(それだけ言っているということは、何度言っても出来ていないということだが)。


世の中で仕事を円滑に進めるためのキーワードとしてしつこく言われていて、また上司が口を酸っぱくして何度も言っているのに、俺の回りの人間はなんで出来ないのだろう?、と色々と考えてみた。


やり方が解らないから?、いや違う。Wiki、CMS、blog、Groupware、最近流行りの電子ツールを全て立ち上げ、使い方を教えて、「さあ〜使え!!」と言ってみたが誰も食いつかなかった。


面倒くさい?、まあそれは有るかもしれない…


こんな事を考えていたらふと疑問が湧いてきた、「見える化っていつから言うようになったんだろう?」


私が社会人になり、通信機器のファームウェア開発を生業としたバブル全盛の時は、まだMS-DOS全盛期で、パソコンと言えばNECのPC98シリーズのことだった(海外と仕事をしている部署はIBMだったが)。


私の代からやっとパソコンが一人1代になったらしく、一太郎や花子の活躍もあって、仕事の仕様書を全てパソコンで書くようになったのはこの頃らしい(1年前のプロジェクトの仕様書を見たら手書きだった)。


パソコンで仕様書を書いていても、管理は全て“紙"で行っていて、オフィスの壁には出力した仕様書をファイルして置いておく書類棚が壁を多い隠していた。


この頃は意識して「見える化」などと上段に構えなくても、今進行中のプロジェクトのファイルは自分の机の上や先輩の机の上に置いてあって、勝手に見たり見られたりしていたし、スケジュールは必ず印刷して壁に貼ってあった。
その頃は壁に貼ってあるスケジュールに毎週手書きで実績を入れるのがノルマでもあり、習慣でもあった。


今、席の周りや、壁にはプロジェクト毎の書類のファイルなど全くない。
殆どが電子がされた状態でファイルサーバーのディレクトリに整理もされずに押し込まれている。
もしくは、個人持ちになっていて説明やバージョン管理も無しにメールで送りつけて終わりだ。


確かに、電子化によって便利になった面があるのかもしれない(“電子化”ではなく、流行った言葉の“IT”と言いたい人が多くいるが、これは明らかに違う)。
しかし、電子化されることで自分が目の前に見えている物は他人も見えていると思ってしまう、人間のエゴによって仕事の内容や本当は共有しなければいけない情報がクローズな環境に閉じこめられてしまった気がする。


いまや、意識して「見える化」しないと人に見せることも、見ることも出来ない時代なのだろう。電子化ってちょっと不便だなぁと思ってしまった。